一人事でも良かったのですが、なんとなく書き記したくなったので。
先日も日記に書いたように、私は自分のSが止まらなくなり
リョウと、少しもめたことがありました。
その後で、ある方とお話してそれがきっかけで
私はもう一度、パートナーとしてのリョウを見つめなおしてみました。
リョウは、どんどん先に進んでいく私に、一生懸命ついて来てくれました。
自分が苦手なことも、まず一度は経験してみようと。
自分が嫌だと思うことも、私がそれで楽しめるなら、自分はそれでいいとも。
今はMになれてないけど、いつかMになりたいと。
藍と一緒に楽しみたいと。それが私達の普通のSEXになればいいと。
その方が言うには、この世界というのは何度も何度も一進一退を繰り返し
悩み乗り越えて、肉体的にも精神的にも、次第に進歩していくものなのだそうです。
苦手なものは必ずあるんだ。少しずつ乗り越えていくんだ。
1の次に2、2の次に3とステップよく踏んでいくのではなく
2から1へ逆戻りしたり、3でずっと立ち止まったり、それはこの世界では普通だと・・・
極めて順調に、調教が進んでいるかのようにみえていた方からの
実体験に基づくお話は、私には非常に説得力のあるものでした。
とすると・・・・
パートナーとしてのリョウは、どうなるのでしょうか?
私は、リョウの欠点ばかりを見ていました。
ついていけないから待ってくれといわれて、苛立ちを感じていました。
でも、視点を変えてみるとリョウは、非常に重要なところを既に身につけているように
思えてきたのです。
私と一緒に歩みたいと思ってくれている。私を否定していない、肯定している。
すごくこれは重要なことなのだと、気がついたのです。
そして、さらに気が付いたこと。
それは、エゴなのはリョウではなく、私自身なのだと。
エゴマゾのリョウではなく、エゴサドの藍なのだと。
少し、自分が恥ずかしくなりました。
今度の逢瀬の時に、きちんと顔を合わせて謝ろうと思います。
まずは、日記で。
ごめんなさい。リョウ。
これからも、ずっと一緒に歩んでください。
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