当たり前になってきてしまっています。
私の大切なリョウが、いつも自分の近くにいることに。
勿論それは物理的にではなく、精神的に、心理的になのですが。
本当は、すごくありがたいことだし
しかも、人生においてそんなにあることではないのかもしれないのに。
その状態に、慣れてしまってきています。
リョウは、たまにSOSを出します。
それは、なんとなくわかります。
いつもと少し違う感じがするので
あ、これはSOSだなと。
でも、私はそのSOSを出す時のリョウの言葉とか
話す内容にこだわってしまう。
「ちゃんと考えれば、なんでもないよ」
「そんなわけないじゃない。考えすぎ」
そう言って、言葉の表面だけを捉えているように思えました。
違うんだよね、リョウ。きっと。
君は単に、何か危険とか危機を感じ取って、SOSを出している。
でも、それが何なのかはっきりわからないし
言葉にしても、理屈だった話にはならない。
なんとなく感じる・・・それを言葉にするのが難しいのかな?
海岸に打ち寄せる波のように、規則的であるような
不規則に突然パターンが乱れたり、突然大きな波になったりするような
そんな感じで繰り返される、SOSの信号。
言葉の後ろに隠されたその信号を、きちんとキャッチしていたい。
SOSが聞き取れずに、大事な関係を壊すことの無いようにしたい。
早朝、ふとそんなことを考えました。
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