私達はよく「交わる」という言葉を使います。
それは決して「SEX」ではないのです。
行為自体は、SEXと同じです。
ただ、私達の間では、二人の気持ちがひとつになることを、「交わる」と言うのです。
いつも、私達がしているような、快楽を追求するものではありません。
決して、楽しいものでもありません。
でもとても、「幸せ」な時間なのです。
その時間はゆっくりと流れ
まるで、この世界には二人しかいないのではないかという錯覚を、起こします。
私から、「交わろう」と言うことはありません。
ほとんどが、藍からの申し出です。
でも、不思議なことに、いえ、二人にとっては当然のように
二人が同時に、同じことを考えているのです。
「交わりたい」と・・。
何かを求めたり、何かを欲しているわけではありません。
強い欲望の元、交わるのではないのです。
その行為は、一種の「確認」だと、私は思っています。
そしてその「確認」も、「お前は俺のもの」「私はあなたのもの」というのとも、少し違います。
私達二人の、距離や、絆の深さを、確認するのです。
その時は、二人は二人であって、二人ではないのです。
藍は私になり、私は藍になる。
二人の気持ちが交差し、二人の愛がひとつになるのです。
お互いの身体と身体を、これ以上は無理というほど密着させて
たとえ神様でも、今の私達を引き裂くことはできないのではないかというほど
ぴったりと身体を寄り添って、私達は交わるのです。
何か、会話をすることもあります。
黙って、ただ抱きしめ、お互いの目を見つめあうだけのこともあります。
でもそれが、藍と私の、二人の「交わり」なのです。
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