私は奴隷の何を見て、興奮するのだろう。
私は奴隷に何をして、狂うのだろう。
そう問うた時に、女王様になりたての去年の夏と、実際に調教を始めた秋、今とでは
その「行為」自体は微妙に違う。
「奴隷が奴隷であることを喜ぶ様」から
「私が奴隷を調教して変えていく様」
「奴隷が奴隷らしくなっていく様」へと、少しずつ変化している。
この三つを、簡単に行為に当てはめて説明をすると
三つのうちの一番上の「奴隷が奴隷であることを喜ぶ様」というのは
奴隷が自分のおかれている状況に陶酔し、浸りきっている様子を見るということ。
うっとりとした奴隷の表情や、恥ずかしがる様を見ること。
二つ目、「私が奴隷を調教して変えていく様」は
奴隷自身が興味を持っていなかった鞭打ちという、肉体的苦痛を
私の調教によって受け入れ、自ら進んでして欲しいとさえ思わせること。
三つ目、「奴隷が奴隷らしくなっていく様」は
奴隷自身が望んではいなかったヒールを舐めさせるという、精神的苦痛を
私の調教によって喜ぶようになり、心を壊していくということ。
もちろんさほど決定的な何かが違いがあるわけでもなく、微妙な違いで
「では、今は初めの頃興奮していたことを楽しめないのか」と言うと
決してそうではない。
(つづく)
女王様の気持ち シリーズ一覧
最近のコメント