亀頭責めで快感の強さには山や谷があることは何度かこの日記に書いています。
今回のリョウの亀頭責めは、この山を乗り切らせる時に巧みに私に愛情を注ぎこむものでした。
肉体的に極限に追い込んで、精神的に安心感や安らぎを与える。
リョウは意識してこうしたわけではないのだと思います。
こうしたほうがいいのではないかという直感だったのでしょう。
何度か大きな山を乗り越えさせられる時に、
「あいしてる」という言葉をかける以外にも、リョウは縛ったロープのまま、私に抱きついてくることもありました。
過去に何回かあったような意識の混濁状態にはなりませんでした。
いえ、正確にいうと混濁状態にさせてもらえなかったというべきなのでしょう。
わけがわからない状態になったほうが楽なのですから。
ひたすら続く、亀頭責め。
ひたすら繰り返される、絶叫。
いつやむとも思えない責めの中で、私は完全にリョウに支配されている感覚だけが頭に強く残っていきました。
生かすも殺すもリョウ次第な状態が延々と続いている訳ですからある意味これは仕方のないことです。
正常ではない思考の中で私はふと考えたことがありました。
それは、リョウが私を抱きしめた時に感じたものです。
私を抱きしめる時には亀頭責めは一瞬止まるのです。
抱きしめるのが終わらないと亀頭責めは開始されません。
同時にして欲しい・・・・地獄のような肉体への快感責めと
天国のような精神への福音を同時に欲しい。
そう思ったのです。
でも亀頭責めは手をどうしても使います。両手を使っても私を抱きしめながら亀頭責めするのは不可能です。
手がだめなら・・・・
私はここで不思議なことを考え始めたのです。
(つづく)
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